SNS(ソーシャルネットワークサービス)は、私たちの日常を彩る便利なツールですが、一歩間違えれば「信頼という名の城」を一瞬で崩壊させる破壊兵器にもなり得ます。
千葉大学医学部附属病院で発生した一連の不適切投稿事案は、まさにその最悪のケーススタディと言えるでしょう。看護師を名乗る人物の衝撃的な「つぶやき」から1年。この問題が私たちに突きつけた、医療の闇と組織の沈黙について深掘りします。

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タイムラインに流れた「戦慄の告白」

問題の発端は、X(旧Twitter)上でのあるアカウントによる投稿でした。そこには、およそ医療従事者の言葉とは思えない、倫理観を根底から覆す内容が並んでいました。
「患者が転倒しても、インシデント書くの面倒だから隠蔽しちゃう!」
「拒薬してる患者の薬、面倒だからこっそり捨ててる」
「モニター鳴ってたのに誰も気づかなくて、見事に心停止になってた!」

これらは単なる「愚痴」の範疇を超えています。患者の安全を預かるプロフェッショナルによる、意図的な背信行為の告白に他なりません。SNSという匿名性の陰に隠れ、生命への敬意が失われていく「脱感作(感覚の麻痺)」の恐ろしさが浮き彫りになりました。
迅速だった初動、そして訪れた「1年後の沈黙」

事案が発覚した際、病院側の対応は当初、非常にスピーディーで透明性が高いものでした。
| 時期 | 病院側の主な対応 |
| 昨年1月8日 | 病院長が関与の可能性を認め、調査開始を公表 |
| 昨年1月9日 | 対象職員に自宅待機を命令 |
| 昨年2月 | 外部有識者を含む調査委員会を設置 |

しかし、期待された「透明性」は長くは続きませんでした。発覚から1年が経過した今、メディアの取材に対し病院側は「調査の継続状況についてもコメントできない」と、事実上の情報封鎖へと舵を切りました。
この「沈黙」が、さらなる疑念を生んでいます。何が事実で、どのような改善が行われたのか。それが見えない状況は、地域住民や患者に「まだ隠蔽が行われているのではないか?」という二次的な不信感を与えてしまっているのです。
なぜ「個人の問題」で終わらせてはいけないのか?

この事案の本質は、一人の不届きな職員がいたことだけではありません。より深刻なのは、そのような行為を許容、あるいは見逃してしまう「組織の土壌」にあります。
- 心理的安全性の欠如: インシデント(ヒヤリハット)報告が「自分を責めるもの」になっていると、現場は隠蔽へと走ります。
- SNSリテラシーの形骸化: 匿名であっても組織は特定され、その言葉が及ぼす社会的影響は甚大であるという認識が、教育現場で浸透していませんでした。
- クライシスコミュニケーションの失敗: 危機において「黙る」ことは、説明責任の放棄と受け取られます。誠実な対話こそが、信頼回復の唯一の道です。

私たちが学ぶべき教訓
この事件は、医療従事者だけでなく、組織に属するすべての現代人への警鐘です。
- デジタルと現実に境界はない: 匿名のつぶやきは、現実のキャリアと組織の未来を破壊する力を持っています。
- 信頼は「秒」で崩れる: 何十年かけて築いたブランドや信頼も、一つの無責任な投稿で一瞬にして塵に帰します。
- 「誠実さ」こそが最強のリスク管理: ミスや不祥事が発生した際、いかにオープンに、かつ継続的に情報を出し続けるかが、組織の真価を決めます。



最後に:沈黙の先にあるべきもの

医療の根幹は「信頼」です。患者が「この病院なら命を預けられる」と思えるのは、従事者が誠実であるという前提があるからです。
千葉大学病院には、今こそ「コメントできない」という壁を取り払い、何が起き、どう変わろうとしているのかを語る勇気が求められています。沈黙は解決策ではなく、不信の種を育てるだけなのですから。
【参考元】

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