2025年12月、岐阜県大垣市民病院で発生した看護師による不適切投稿事件。手術中の患者の臓器を私物端末で撮影し、SNSに公開したという事実は、医療界のみならず社会全体に大きな衝撃を与えました。
「フォロワー限定だから」「24時間で消えるから」という弁明の裏に隠された、専門職としての「感覚の麻痺」とは何か。提供された資料をもとに、この事件の本質を多角的に分析します。

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事案の深層:なぜ「秘密の共有」は決壊したのか

まず、この事件の構造を客観的な事実から改めて俯瞰します。
事件の輪郭

- 撮影の状況: 2025年9月、手術室という極めて高い無菌性と機密性が求められる場所へ、私物のタブレットを無断で持ち込み。
- 投稿の形態: 10月、SNSの「ストーリーズ」機能を使用。特定フォロワーのみが閲覧可能な「鍵アカウント」であり、24時間で自動消去される設定。
- 発覚の経緯: 内部からの流出ではなく、外部からの「情報提供」によって病院側が知ることとなった。
ここで注目すべきは、投稿者が「安全だ」と信じ込んでいたデジタル的な防波堤の脆さです。外部通報で発覚したという事実は、閲覧を許可された「仲間」の中にさえ、この行為を倫理的冒涜だと感じた人物がいたことを示しています。ネットの世界に「絶対的な内緒話」は存在しないという、あまりに高い授業料を払うことになりました。

医療倫理の根幹:患者を「人(Person)」として見ているか

この問題の核心は、個人情報の流出もさることながら、「患者の尊厳」に対する感度の著しい低下にあります。
「ケアの対象」から「標本」への転落

医療現場において、患者の身体はケアの対象(Person)です。しかし、そこから臨床的な目的(教育・研究・治療)を切り離し、単なる好奇心や共有欲求のためにレンズを向ける時、患者は一人の人間から「標本(Sache/モノ)」へと格下げされてしまいます。
カントの定言命法: 「人間を常に目的として扱い、決して単なる手段として扱ってはならない」
この倫理の根本原則を、手術室という「患者が最も無防備で、医療者にすべてを委ねている空間」で破ったことの重みは、法律や規則の違反以上に深刻です。

信頼という名の「暗黙の契約」
私たちは、医療者が「私を尊重してくれる」と信じているからこそ、意識を失う麻酔を受け入れることができます。この「信託」があるからこそ、医療職には他者の身体に触れ、内部を視認するという特権が許されています。その特権をSNSという娯楽の場で消費する行為は、医療という仕組み全体の土台を揺るがす裏切り行為と言えます。

なぜ「優秀な看護師」が踏み外すのか:心理的背景の考察

動機として語られた「仲間に見てもらいたい」という言葉。ここには、悪意とは異なる「専門職特有のハザード」が潜んでいます。
① 脱感作(だっかんさ):感覚の麻痺

医療従事者は日常的に、一般人にとっては衝撃的な光景や機密情報に触れます。経験を積むほどにそれらに動じなくなるのはプロとしての適応ですが、同時に「情報の重み」に対する感受性まで鈍くなってしまう。これが「脱感作」です。
② 正常性バイアスとSNSリテラシーの歪み

「名前を出していないから大丈夫」「すぐに消えるから問題ない」という、自分に都合の良い解釈(正常性バイアス)が、専門職としての判断力を曇らせます。プライベートでのSNS利用の感覚が、職域という特殊な空間にまで侵食してしまった結果です。
総括:デジタル・タトゥーを刻むのは誰か

病院側が下した「口頭注意」という処分。これを軽いと感じる向きもありますが、専門職としてのキャリアに刻まれた「倫理不適切」の記録は、決して消えることのない職業的なデジタル・タトゥーとなります。
| 投稿者の認識 | 現実という名の鏡 |
| 限定公開だから安心 | 閲覧者の誰かが「告発者」になるリスクの無視 |
| 24時間で消える | スクリーンショットによる「半永久的な保存」 |
| 学習・共有のため | SNSという「公共の広場」を選んだ時点での目的の変質 |

未来の医療従事者、そして私たちへ

スマホのレンズ越しに世界を見る時、私たちは被写体の背後にある「心」を忘れがちになります。
医療情報は、いかなる断片であっても究極の個人情報です。白衣を脱いだ後も、一人の専門職として、そして一人の人間として、他者の尊厳をどう守るのか。その指先一つに、あなたの人間性が宿っています。

参考文献
- 読売新聞オンライン(2025/12/24): 手術中の患者の臓器を看護師が撮影、SNSに投稿…「仲間に見てもらいたかった」
- TBS NEWS DIG(2025/12/24): 手術中の患者の臓器を看護師が私用タブレットで撮影、SNSに投稿 岐阜・大垣市民病院

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