私の病気は子供にも大きな影響を与えてしまっていた。
長男、長女とも何度も学校から電話がかかってきた。
周りで迷惑になる行動を学校や登下校で起こしていた。
何度となく近所や学校に謝って回ることを繰り返していた。
もしかしたら次男が生まれたことも気を引きたくて、無意識にそういったことをするに至ってたのかもしれない。
子供や妻は私の病気の一番の被害者であって本当に申し訳なかった。
この頃、ある人にキツい言葉を言われた。
お前は端から見ているとサボってるだけにしか見えない。
楽をして仕事がしたくないだけに思う。
そもそも身体が痛いや辛いなんて泣き言を言わずに働くべきだ。
心が弱いだけ。気力が弱いだけ。
昔の人は泣き言なんて言わず歯を食いしばって働いてたもんだ。
その身体なら働けるはずだ。
と
痛みと痺れ、倦怠感を他人の目で見れる形で証明できるものはない。
日常的なことは自分で行えてるため、仮病にしかみえないのだろう。
だから仕方ないと思う。わかっている。
奮起させたいという気持ちもあったのだと思う。
それでも、苦しかった。
精神論で完治するなら、どんなことでも我慢して耐えるのに…
悲しかった…情けなかった…
今も心に深く残っている辛い言葉…
そして、勤務先でもついに辞表を書くように求められた。
それについては仕方ないと思っている。
見込みのない職員をいつまでも雇うことはできない。
今まで待ってくれただけでも感謝。これは本音だった。
感謝しているし、迷惑かけて申し訳なかった。
就職して二年程度で、認めてくれ管理職にしてくれたのに応えれなかった。
だから、退職を素直に受け入れた。
フェイスブックに退職しますと挨拶を書き込んだ。
皆さん、お世話になりました。心から思った。
痛みや倦怠感は治らないんだろうなという、あきらめもあった。
ここのところ、痛みや倦怠感による辛さと経済的な不安と、家族や病院への罪悪感と…
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ掻き混ざってヘトヘトになっていた。
とにかく表情も死人みたいになっていたと思う。
行き場もなく、先も見えず、味方は妻と母だけだった。