線維性筋痛症の患者さんのことをテレビで放送していたので、気になって視ていた。
テレビの中で接骨院の先生が身体のバランスをみながら、対話して治していた。
そしてこのテレビが、この後の生活を変えることになった。
助けられたきっかけの一人目の先生。
近所の接骨院に藁にもすがる思いで行った。
受け入れてもらえて、始めに先生に驚かれた。
鏡に映った姿を見せてくれ、身体が無茶苦茶な状態になっている。
筋肉も体のバランスも凄いことになっていると説明された。
どこまでできるかわからないが出来ることはやってみましょう。と向き合ってくれた。
その言葉を信じ、しばらく毎日通った。
身体が変わってきた。
しかし、限界なのか程なくして変化がなくなってきた。
次に整体を何件かまわった。
最後の希望であり賭けだった。
病院で治らなかった身体を本当に何とかなるのか半信半疑で。
その時に、出会った整体師さんにより復帰へと道筋が指されることになる。
それが、二人目の私にとって恩人になる。
問診、触診して言われた言葉。
全身の神経が異常に興奮した状態になっていると。
まずは、緊張をほぐしていくため毎日きてくださいと言われた。
そして神経が興奮するものをやめてくださいと禁止された。
コーヒーや炭酸、アルコールやお茶は禁止し、とにかく水を飲んでください。
甘いものも控えて、お風呂はぬるま湯でゆっくり入ってください。
深呼吸し体の力を抜く練習をしましょう。
治療内容は身体をゴキゴキ触るのではなく、ゆっくりゆったりと身体をほぐしていく。
悪いところを確認しながら動くように。
そして施術のあと、身体は変化していた。
それは長い時間もたず、しばらくすると戻ってしまった。
整体での治療は保険がきかないので通うと金銭的に厳しいため悩んだ。
しかし、最後の可能性だった。
接骨院の先生や整体の先生は、僕の身体を見て触れて異常に気づいてくれた。
病院では画像や検査データを見て、身体自体の異常を気づいてくれることはなかった。
異常ないと言われ続けて
希望を胸に、しばらく毎日通い徐々に間隔をあけていった。
明らかに身体が変わってきたころ、病院の定期の受診へと行く。
そのとき、辞表を持って行った。
事務長はおらず、経理の人に後日渡しますと伝えた。
僕の表情が違っていたのか、体調の話になり最近症状が少しずつ良くなっていると伝えた。
なら病院辞めなくていいんだよと引き止められる。
僕は気持ちはリセットされていて病院をやめる気になっていたので断ったが、看護部長に呼ばれ今の状態の話をした。
前の看護部長は退職され、新しい看護部長になっていた。
そして身体ならしに2ヶ所の病棟を半日出勤した。
残念なことに、おむつ交換や移乗などだけで体は悲鳴をあげた。
体調を相談のうえ外来での復帰になった。
まずは、受付業務メインの午後からはパソコン作業を予定。
体を考え少しでも辛くないようにと。
仕事の復帰は1年半が経ち傷病手当が打ち切られるタイミングだったので感謝した。
クリスマスになりケーキが余ったので少し多く食べた。
すると、体中が悲鳴をあげた。
痛い痛い痛い…
痛みが全身をおそう。
この出来事が、整体師さんの言葉をより信じるものとなった。
甘いものが、自分のからだにこんなにもキツイとは思わなかった。
もともとは飲み物は炭酸飲料しかのまず甘い食べ物も大好きだった僕は本当に1からの我慢だった。
治すためにすべてを変えた。