「きゃはははは♪」
病室から廊下まで聞こえる大きな笑い声が響いた。
「「綾、静かにしなさい。」」
娘が私の声を聞いて、お腹を抑え大笑いしていた。
笑い過ぎて目にうっすらと涙がにじんでた。
「だってパパったら蛙の声みたいなガラガラ声なんだもん。」
綾の横で陽子も、お袋も後ろへ向いてクスクス笑っていた。
親父は必死で笑いをこらえていた。
はぁー…
自分の声をずっと聞いてなかったけど…今の声が自分の声じゃないのは解る。
喋れるといっても自分の声が出るわけじゃないんだ…
まあ、そのうちに慣れるだろう。
看護婦さんも噂を聞きつけ交代で覗きにくる。
「大丈夫、似合ってますよ。」
そう気休めを言っても、顔は笑っていた。
はぁー…
見事に見せ物になっているなぁ。
《コンコン…》
ドアをノックする音。
次は誰が笑いに来たんだろ…
「「はい、どうぞ。」」
「お邪魔しますね。」
「「あ、どうぞ。」」
顔を見せてくれたのは、隣の病室のおばあちゃんだった。
いつも通りに化粧をバッチリとして、ニコっと笑うとシワの入った顔がクシャクシャになる。
「小林さん、本当によかったねえ。」
私の声が出るようになった事を、ただ素直に喜んでくれた。
「「有り難うございます。リハビリの具合はいかがですか?」」
私の言葉に、おばあちゃんは目を細めた。
照れ臭そうに頭を掻きながら答えた。
「実は先生から退院の許可が出たんだよ。ようやく帰れるよ。」
その言葉に、私は自分の事みたいに嬉しかった。
「「よかったじゃないですか!」」
「ええ。ずっと待たせてる人がいるからねぇ。」
施設で待ってる父親の事がやっぱり気になるんだ。
羨ましい気持ちはもちろんある。
だけど、おばあちゃんがどれだけ退院を望み
どれだけリハビリを頑張っていたか見ていたから
退院の報告は嬉しく、そして私に希望を与えてくれた。
私にも待ってくれている家族がいる。
負けてられない!
…
人がいなくなると、病室はすごく静かなもんだ。
そして、一人になると孤独と不安に包まれる。
自分の身体の事、退院してからの生活の事、経済的な事…
…本当に自分が元気になっているのかが不安なんだ。
ふぅー…
それでも、時間は過ぎていく。
待ってくれず、私だけ周りから取り残されている感覚に襲われる。
もう数日もすれば、3月も終わる。
早いもんだ…
《コンコン》
「「はい。」」
よかった、誰か来てくれた。それだけで気が紛れる。
ノックの仕方で何となく誰なのか解っていた。
部屋に入る時、出ていく時の言葉や表情、仕種も一人一人違うんだ。
「失礼しますね。」
やっぱり、入ってきたのは優花ちゃんだった。
優花ちゃんの顔を見ると安心する。
それだけ今まで、いろいろな事があったんだな。
いつも支えてくれた。
「どうしたんですか?小林さん。私の顔に何かついてますか?」
私の顔をみて、少し小首を傾げ尋ねてきた。
つい、ジーッと顔見つめていたから不思議そうな顔をしている。
「「ここまで元気になれたのは優花ちゃんのおかげです。」」
私の言葉が予想外だったのか、驚いた表情になる。
「「感謝してます。」」
私は深く頭を下げた。
「何言ってるんですか…私なんて…」
優花ちゃんは言葉の語尾が小さくなり、表情が暗くなる。
視線を下に落とし俯いた。
ズキン!
その表情に胸が苦しくなった。
…何でそんなに悲しい顔するの?
時間が止まり、静寂に包まれる。
ゴクッ…
緊張感に耐えられずに、唾を飲み込んだ。
微かに聞こえてきた声。
静寂に掻き消されそうな小さな声。
「私なんか居なくても、小林さんだったら元気になれますよ…」
視線を合わせないまま、呟いた言葉…
「「え?」」
《パタン》
確認する間もなく優花ちゃんは部屋を出ていった。
「あなた、大丈夫?」
あ、陽子か。
気付かなかった。
ボーッとしていた。
何が何だか訳がわからず。
突然、何だ?
私が何かしたのかな?
わからない。
「ねぇあなた、聞いてるの?お昼なのに寝るとまた夜寝れないわよ。」
陽子の声が頭に響く。
思わずイラッとして眉間にシワが入る。
五月蝿いなぁ。
人の気も知らないで。
目を閉じてるからって寝てる訳じゃないんだ。
「ちょっと、昼間からゴロゴロしないの。ねぇ、聞いてるの?」
陽子が私の体を揺する。
やめろって。
うっとうしい。
「ねぇ、返事くらいしてよ。」
あああぁああーー…
「「うるさい!!」」
感情が止められない。
言葉が止められない。
「「お前に私の気持ちがわかるのか?」」
陽子に思わず枕を投げつけた。
自分の頭を掻きむしる。
「「だいたいなぁ、毎日毎日私を置いてフラフラどこ行ってんだ。お気楽なも…」」
…
そのときの陽子の顔は例えようがなかった。
初めてみた表情。
悲しそうな、苦しそうな、絶望にもにた表情…
すぐに罪悪感に襲われ後悔した。
だけど全て遅かった。
口にした事を取り消す事なんでできないのだから…
いったい何を言ったんだ私は…
馬鹿野郎…
糞野郎…
私なんか死んでしまえばいいんだ…
陽子は何も言い返さず、ただ悲しい顔のまま私を見つめた。
そして、ゆっくりと病室を出ていった。
ただ、静かに私の前から姿を消した。
そして私は1人ぼっちになった。
静かな病室で耳を澄ます。
廊下の足音が部屋を通り過ぎていく度に、期待していた自分にがっかりする。
最低だ…
自分の苛立ちを陽子に八つ当たりするなんて…
素直に謝ろう。
そして照れ臭くて、まだ言葉では伝えれてない『有難う』を陽子にもきちんと言うんだ。
私にとって陽子は必要な人なんだから…
明日には絶対に言おう…