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3月28日水曜日(雨)

きゃはははは♪」

 

 

病室から廊下まで聞こえる大きな笑い声が響いた。

 

 

「「綾、静かにしなさい。」」

娘が私の声を聞いて、お腹を抑え大笑いしていた。
笑い過ぎて目にうっすらと涙がにじんでた。

 

 

「だってパパったら蛙の声みたいなガラガラ声なんだもん。」

綾の横で陽子も、お袋も後ろへ向いてクスクス笑っていた。
親父は必死で笑いをこらえていた。

 

 

はぁー…

自分の声をずっと聞いてなかったけど…今の声が自分の声じゃないのは解る。

喋れるといっても自分の声が出るわけじゃないんだ…

まあ、そのうちに慣れるだろう。

 

 

 

看護婦さんも噂を聞きつけ交代で覗きにくる。

「大丈夫、似合ってますよ。」

そう気休めを言っても、顔は笑っていた。

 

 

はぁー…
見事に見せ物になっているなぁ。

《コンコン…》

ドアをノックする音。

次は誰が笑いに来たんだろ…

 

 

 

「「はい、どうぞ。」」

 

 

 

 

 

「お邪魔しますね。」

「「あ、どうぞ。」」

 

 

 

顔を見せてくれたのは、隣の病室のおばあちゃんだった。

いつも通りに化粧をバッチリとして、ニコっと笑うとシワの入った顔がクシャクシャになる。

 

「小林さん、本当によかったねえ。」

私の声が出るようになった事を、ただ素直に喜んでくれた。

 

 

 

「「有り難うございます。リハビリの具合はいかがですか?」」

私の言葉に、おばあちゃんは目を細めた。
照れ臭そうに頭を掻きながら答えた。

 

 

「実は先生から退院の許可が出たんだよ。ようやく帰れるよ。」

その言葉に、私は自分の事みたいに嬉しかった。

 

 

 

「「よかったじゃないですか!」」

「ええ。ずっと待たせてる人がいるからねぇ。」

 

 

施設で待ってる父親の事がやっぱり気になるんだ。

羨ましい気持ちはもちろんある。

 

 

だけど、おばあちゃんがどれだけ退院を望み
どれだけリハビリを頑張っていたか見ていたから
退院の報告は嬉しく、そして私に希望を与えてくれた。

 

 

私にも待ってくれている家族がいる。

負けてられない!

 

 

 

 

 

 

 

 

人がいなくなると、病室はすごく静かなもんだ。

そして、一人になると孤独と不安に包まれる。

自分の身体の事、退院してからの生活の事、経済的な事…

…本当に自分が元気になっているのかが不安なんだ。

 

 

 

ふぅー…

それでも、時間は過ぎていく。

待ってくれず、私だけ周りから取り残されている感覚に襲われる。

もう数日もすれば、3月も終わる。

早いもんだ…

 

 

 

《コンコン》

「「はい。」」

よかった、誰か来てくれた。それだけで気が紛れる。

 

 

 

ノックの仕方で何となく誰なのか解っていた。
部屋に入る時、出ていく時の言葉や表情、仕種も一人一人違うんだ。

 

 

「失礼しますね。」

やっぱり、入ってきたのは優花ちゃんだった。

優花ちゃんの顔を見ると安心する。

 

 

それだけ今まで、いろいろな事があったんだな。

いつも支えてくれた。

 

 

「どうしたんですか?小林さん。私の顔に何かついてますか?」

私の顔をみて、少し小首を傾げ尋ねてきた。

つい、ジーッと顔見つめていたから不思議そうな顔をしている。

 

 

 

「「ここまで元気になれたのは優花ちゃんのおかげです。」」

私の言葉が予想外だったのか、驚いた表情になる。

 

 

 

「「感謝してます。」」

私は深く頭を下げた。

 

 

「何言ってるんですか…私なんて…

優花ちゃんは言葉の語尾が小さくなり、表情が暗くなる。
視線を下に落とし俯いた。

 

 

ズキン!

その表情に胸が苦しくなった。

 

…何でそんなに悲しい顔するの?

 

 

 

 

時間が止まり、静寂に包まれる。

 

ゴクッ…

緊張感に耐えられずに、唾を飲み込んだ。

微かに聞こえてきた声。
静寂に掻き消されそうな小さな声。

 

 

 

「私なんか居なくても、小林さんだったら元気になれますよ…」

視線を合わせないまま、呟いた言葉…

 

 

「「え?」」

《パタン》

確認する間もなく優花ちゃんは部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなた、大丈夫?」

あ、陽子か。
気付かなかった。

 

ボーッとしていた。
何が何だか訳がわからず。

 

 

突然、何だ?
私が何かしたのかな?

わからない。

 

 

「ねぇあなた、聞いてるの?お昼なのに寝るとまた夜寝れないわよ。」

陽子の声が頭に響く。

思わずイラッとして眉間にシワが入る。

五月蝿いなぁ。
人の気も知らないで。

 

 

目を閉じてるからって寝てる訳じゃないんだ。

 

 

「ちょっと、昼間からゴロゴロしないの。ねぇ、聞いてるの?」

陽子が私の体を揺する。

やめろって。
うっとうしい。

 

 

 

 

「ねぇ、返事くらいしてよ。」

 

 

あああぁああーー…

「「うるさい!!」」

感情が止められない。
言葉が止められない。

 

 

「「お前に私の気持ちがわかるのか?」」

陽子に思わず枕を投げつけた。
自分の頭を掻きむしる。

 

 

 

「「だいたいなぁ、毎日毎日私を置いてフラフラどこ行ってんだ。お気楽なも…」」

 

 

 

そのときの陽子の顔は例えようがなかった。

初めてみた表情。

悲しそうな、苦しそうな、絶望にもにた表情…

 

 

すぐに罪悪感に襲われ後悔した。
だけど全て遅かった。

口にした事を取り消す事なんでできないのだから…

 

 

 

いったい何を言ったんだ私は…

馬鹿野郎…

糞野郎…

私なんか死んでしまえばいいんだ…

 

陽子は何も言い返さず、ただ悲しい顔のまま私を見つめた。

 

 

そして、ゆっくりと病室を出ていった。

ただ、静かに私の前から姿を消した。

 

 

そして私は1人ぼっちになった。

 

 

 

静かな病室で耳を澄ます。
廊下の足音が部屋を通り過ぎていく度に、期待していた自分にがっかりする。

最低だ…
自分の苛立ちを陽子に八つ当たりするなんて…

 

 

素直に謝ろう。
そして照れ臭くて、まだ言葉では伝えれてない『有難う』を陽子にもきちんと言うんだ。

私にとって陽子は必要な人なんだから…

明日には絶対に言おう…

 

 

 

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