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3月 5日月曜日(曇り後晴れ)

何かを伝える事ができる。
コミュニケーションがとれる。

それだけで、一昨日とは世界が変わった。

 

 

指差すにもスムーズに指せなかったり、間違ったりする事もある。

時間もかかるから、もどかしかったりするけど気持ちは伝えられる。

今までとは全然違う。

 

 

文字ってすごいなぁ…
じっと文字だけみてるといろんな線の集まりで、何か変な感じがするのに。

今は文字の力に助けられている。

言葉の力
文字の力
光の力

普段当たり前に溢れていたものの存在の大きさに、こんな身体になったからこそ教えられた。

 

 

 

「小林さん、おはようございます。」

ああ、もう朝なんだ。
回診の時間か。

 

 

[おはよ、ござ、ます]
佐々岡先生、おはようございます。

佐々岡先生が私の指した文字にニコッと笑う。

 

 

「ちょっと失礼します。」

私の胸に聴診器あてて、一人うなづく。

視線を呼吸器に移すと、しばらくの間、呼吸器とにらめっこしていた。

 

 

「…」

いつもと同じように、眉間にシワを入れて難しい顔になった。

 

「胸部レントゲンと血液ガスの結果は?」

「出てます。」

優花ちゃんが答える。
先生は電子カルテを開いて、何かを確認している。

 

 

 

…」

再び沈黙。

 

 

うわぁー…

 

 

結果が悪いのかな?
怖い。
ドキドキする。

 

陽子も心配そうに先生を見つめている。

 

 

「…」

…ごくっ

 

 

長い沈黙に思わず唾液を飲み込んだ。

「…だか…で…」

 

 

先生がブツブツ独り言を言いながらこちらに振り向いた。

 

 

「…胸水を抜いてから、呼吸の方は良くなってきてますね。」

 

 

バソコンからレントゲンの画面を見せてくれた。

カチカチとクリックすると画面が切り替わる。

 

 

「そろそろ人工呼吸器を外せるかもしれませんね。」

やっぱり難しい顔のままで説明が続く。

 

 

 

ふーん…そっか

え?
今、何て言った?!

 

 

プシュープシュー》

 

「本当なんですか!」

私の横で叫んだ陽子の目は涙ぐんでいた。

 

呼吸器を外せる。
それは私達にとって、大きな希望が見えた気がした。

 

 

まずは昼の間だけ外してみて、夜間は人工呼吸器というように訓練して慣れていきましょうか。」

はい!

…やっと、この機械の音から解放されるのか。

《プシュープシュープシュー…》

 

 

何か一つでも前に進むと重なるんだなぁ。

夢みたいだ。

[がんば、ります]

 

 

…しかし先生、まぎらわしいなぁ。
いい話しするなら、そんなに難しい顔しなくてもいいのに。

こっちは不安でドキドキして寿命が縮んでしまうよ。

 

 

「あっ!」

え?

出て行こうとした先生の足が止まる。

 

 

「小林さん。」

はい…

 

 

もしかして思ってることが顔に出てたのかな。

ゴメンなさい…

 

 

「オシッコの管も抜くようにしますね。」

管がもう一つ減るの?
マジですか?

 

 

「川本くん、抜いといてね。」

「はい。」

優花ちゃんが注射器を手に持って近づいてきた。

え?
もしかして痛い事するの?

 

 

「小林さん、楽にしてくださいね。」

心配とは裏腹にあっけなく管は抜けた。

少し気持ち悪かったくらいだった。

 

ようやく管がのいてムズムズする気持ち悪い感じから解放された。

ずっとオシッコしたいような不快感が付き纏ってたから…

 

 

れと同時にオムツからも解放。

…オムツって精神的にすごいキツかった。
蒸れるし気持ち悪いし、何より見た目が情けない…

ある意味、罰ゲームじゃないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

《カチ…》

身体を起こしてテレビを見ていたときだった。

 

 

オシッコしたいな。

 

 

[し、びん]

陽子が気づいて尿瓶をあててくれた。

うーん

 

 

下腹部に力を入れた。

 

 

うーん…

くそっ。おかしいな。

 

出ない。
下はムズムズするのに出ない。

 

よいしょ

ううーん

 

 

やっぱり出ない。
時間だけが過ぎていく。

陽子が心配そうに私の顔を見つめている。

下腹が痛くなってきた。
苦しい。

 

 

たまらなくなってナースコールを鳴らした。

「どうかしたんですか?」

 

 

間もなく部屋にきた優花ちゃん。
私の表情を見て何事かと心配してくれる。

 

 

[オ、シッ、コでな、い]

お腹が痛いんだ。
気持ち悪いんだ。

 

 

 

「しばらく管が入ってましたから出にくくなってるんですね。」

優花ちゃんが下腹部を手で触れた。

痛い!

脂汗が流れる。

 

 

 

「焦らないでくださいね。立てるか座るかしないと力入れにくいから…」

…あ、そっか
普段は横に寝たまま排泄する事なんてないからか。

 

 

「今から導尿するので頑張ってください。」

え?
何をするの?

優花ちゃんが私の下着を下げて下半身が裸になる。

 

うぅ
恥ずかしい…

 

 

「消毒しますよ。」

優花ちゃんが手袋をして私の陰部を持ち上げる。

冷たい。

 

 

「ごめんなさい。少し痛いけど頑張ってください。」

え?痛いの?

次にヌルヌルしたものを細長い透明の管に塗り私の陰部を引っ張る。

 

 

いたたたた!

その管が私の尿道に入れられる。

 

 

「力を抜いてください。」

いや無理だよ。
痛い痛い。

 

 

 

…あれ?
お腹が楽になってきた。

 

 

 

…ふぅ

「700…小林さん、もう管は抜きましたよ。お疲れ様でした。」

 

 

下着をはかせてくれながら優しく声をかけてくれた。

すごく楽になった。

 

 

だけど…

いつもの事ながら、こんな事もできないなんて情けない…
オシッコが出せない事が苦しいなんて初めて知った。

 

 

恥ずかしいやら痛いやら

調子いいと思ってたら…
なかなかいい事ばかりは続かないなぁ。

トホホ…

 

 

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