5月16日木曜日
高速バスに乗って関西へ。
一応、どうなるのか判らないので泊まれる準備もして独りで朝6時のバスに乗った。
4時間のバス移動。
手足が痛くて痛くて苦しかった。
狭い空間で手足の位置も制限されて
辛かった…
重い荷物を持って電車を乗り継ぎ辿り着いた病院。
その時には疲労が強かった。
問診書く手も痛くて仕方ない。
もちろん、初診のため診察まで再び待つ苦しみ。
時間がとにかく永く永く感じられた。
「どうぞ」
名前を呼ばれて診察室へ。
先生の顔を見る。
どうか、いい出会いでありますように…
今までの経過を一生懸命説明する。
なんとか、なんとか何かを発見してもらいたくて。
「それだけ症状がでてるなら何も異常がないことは無いと思いますよ。」
先生が口にした病気は多発硬化症。
症状がバラバラ。
一日のうちでも変わり疲労も症状にある。
体温が上がると症状が悪くなる。
…インターネットで調べると自分と当てはまる…
「髄液検査も発症して5日ぐらいではでない。その場合、普通は一週間後ぐらいにもう一度検査するもんですけど…」
先生から前向きな言葉が出てくる。
期待していいのかな?
5月28日に神経伝導検査とMRI、そして診察の予約をして今日は終了。
高速バスに、なれない土地での移動に、初診による長い待ち時間。
身体の疲れはビークにきてた…
往復8時間、受診だけということが今の僕には無理だった。
漫画喫茶に向かい、身体を横にする。
決して心から休めるわけではないけど…
ひと休みして朝一番で帰ることにする。
5月下旬
足が重だるくなって歩きにくい。
子供を抱っこしてたり荷物を持っていると足を引きずる感じでゆっくりゆっくりと歩くしかできない。
直ぐに息が切れるし、階段や坂道が想像以上に負担が強かった。
手すりやエスカレーターの有り難みを強く感じる。
どんなに足が動かしにくくても、杖や車椅子は手も動かしにくいので使用はできない。
この頃、手の症状も強くてご飯は休憩しながらゆっくり食べるしかなかった。
病院へ行き先生に症状を伝えるも、職場復帰をできるのか?
リハビリはしっかりしてるのか?
言われるだけだった。
目が覚めて動けなくなってるんじゃないか?
そんなバカな事を考えてみたりもして、毎日が疲労と痛みと痺れとの闘いだった…
一日でもいいから何も異常がない身体で過ごしてみたい…
発病してもうすぐ一年。
いまの状況に慣れていかざるおえなくなってきていた…
5月27日
梅雨入り。
明日、検査のため前の日から関西へ。
素泊まりで安いビジネスホテルを予約していたのでソコで一泊する。
子供の運動会で日焼けした肌がピリピリ痛い。
皮膚が弱くて毎年、運度会や海のだびに因幡の白兎になってしまう。
真っ赤っか
5月28日
しんどい。
身体の調子が悪い。
病院の中を歩いて移動するだけで辛くて仕方ない。
先ずは電気を流す検査。
両手両足、時間をかけて
痛い…けど我慢…いてててて
今日は身体が辛くて仕方ないけど…これなら今度こそ異常が見つかるんじゃないのかな…
なんとか…
続いてMRI検査も終わり、ようやく先生の診察…
「異常がないですね…」
…
普通の人はこの言葉にどれだけの安堵感を与えられるのか…
だけど、その言葉は今の僕には絶望の言葉だった…
「これは…ギランバレー症候群自体違うんじゃないか?ギランバレーならもっと、波形が違うから。」
歩けなくなり字も書けなくなった6月から7月…
それすらも否定されかねない言葉…
この一年は
今のこの身体はいったい…
もう…生き先もゴールも真っ暗で何も見えない…
何をどうしたらいいのか…なにもわからない…
とりあえず大量の採血。
結果は一週間ほどで出るので電話しますと
次回の診察予約もなかった…
今日の診察で前に進めると期待していた分…
失望感に包まれて後にする事が悲しくて仕方なかった…